■.君が一人、泣かぬように

 日本での捜査も粗方片付いた。今夜は名前と、久しぶりにゆっくり過ごすことができそうだ。予定よりも早く帰宅出来ることに口元は自然と緩んでいく。車のキーチェーンを掌から浮かせては、力の限り握りしめてしまうくらい俺は浮かれていた。

 早く、名前に会いたい。そうして抱き寄せてキスをして。目一杯甘やかしてやりたい。

「ただいま、」

 しかし玄関を開けても期待していたような返事が返ってこない。廊下の奥、リビングからは明かりが漏れている。テレビの音も聞こえている。何故だ。寝てしまうには早い時間ではあるが、今日はもう眠ってしまったのか。

 いや、違う。嫌な予感と共に体が動いていた。靴を脱ぎ捨て、勢いそのままリビングへ急いだ。

「名前……っ?」
「っ、しゅういち……さ、っ」

 潤んだ瞳に、赤らんだ鼻。目が合った瞬間俯く名前の姿に堪らず足が動く。ソファーに腰掛けている彼女と視線を合わせ、涙で濡れた頬に触れると彼女は照れた様子で首を横に振った。

「ごめっ、ちがうの……っ!」

 その声は想像していたよりずっと明るい。誤解だと笑う名前を見て一気に脱力した。

「ああ、」

 どうやら、何か悪いことが起こった訳ではないらしい。この状況で冷静さを欠いた自分に内心驚きながらも、咄嗟に両腕を広げる。

「っ、おいで……」

 名前の、小さな身体を抱き寄せながら、そうして自分の心も落ち着かせていた。涙の理由は考える必要もない。状況を見れば明らかだった。

「映画、か?」

 今、この時間に。そうだとしか考えられない。

「うん、再放送しててね。前見た時よりも泣けてきちゃった」
「……優しいな、名前は」
「だってさ?……って、その前に秀一さんおかえり」
「ああ、ただいま」

 鼻を啜りながらではあるが、彼女の声には普段の明るさが戻っている。良かった。安堵と共に吐いた息を、誤魔化すように彼女の頬に口付ける。名前はくしゃりと照れ臭そうに笑っていた。

「もうね、何回も見てるんだよ?なのにさ、見れば見るほど泣けてきちゃうの」
「名前は考えてしまうんだな、登場人物たちの思いを」
「そうっ、そうなの!……ああ、!ダメ、思い出しちゃう」

 名前は話題を変えようとしたのか、俺の腕の中から抜けていく。キッチンへと向かっていく彼女の背中は、いつ目にしても頼もしい。

「というか、秀一さん今日早かったね!私もこれからご飯なんだよ!一緒に食べよー」
「ああ、良かった、そうしよう。いい匂いがするな」
「うん、今日は牛丼だよ!帰ってきてからすぐに煮込んだの。味、染みてるといいなー」

 彼女は黄色のエプロンを着けては呑気に笑う。しかし明るい声と装いとは対照的に、目は赤く腫れ、頬には涙を流した跡が残ったまま。その涙は誰が悪い訳でもなく、彼女が無理に笑っている訳でもないというのに胸が痛んだ。

「ん、どうしたの?」

 気づくと、彼女の手首に沿うように触れていた。無性に触れたくなった。今度は彼女が、俺を覗き込むように見上げる。その無垢な瞳は、いつになっても変わらないまま。

「今度は、一緒に見よう」
「っ、え!映画?秀一さんも見たい?」
「ああ、一緒に見よう」
「……っ、うん!分かった!ちょっと緊張するけど」
「緊張?」
「その……好みじゃない、かも、?」
「そんな心配は無用さ」

 君の愛する作品を貶すような真似は当然するつもりもない。そもそも作品の内容はさして問題ではない。

「一緒に共有したいんだ」

 喜びも、悲しみも全部。

「それに、一人で涙を流せさせたくない」
「……大袈裟だよー」
「愛しているんだ、そういうものだろう?」

 頼むよと、額へキスを落とすと名前は照れながらも大きく頷いた。